設立当時のメンバー座談会
<社報みやぞの NO.152 1976/5/1発行 より>
希望の炬火(キョヒ:たいまつ)を高く掲げて
後進に道を拓く身障タクシー運転者のみなさん
昨年3月10日、全国の身障者の方の希望を担って、白井仁志さんがタクシー運転者第1号として、当社に入社してから既に1年余り経ちました。
白井さんに続いて7月には石川勇吉さんが、9月に達裕雄さん、10月に長谷川洋さん、11月には小林達雄さんが入社。今年に入ってからも2月に岡本末男さん、3月に丸山清一さん、渡辺光男さん、小松崎光一さん、古城一美さんが入社し、現在当社には10人の身障者の方が在籍しています。
昨年入社して現在第一線で活躍中の4人(小林達雄さん欠席)を中心に、今年春入社した5人を加えて新しい職場での感想をいろいろうかがってみました。一応座談会の形式はとりましたが、既に第一線で活躍中の白井さん達と、新しい5人のかたたちのなかには、まだ1、2回しか乗務しない方もあり体験も違うので、記者が一人ひとりの方に質問し意見を伺ってそれをまとめるという方式をとりました。
地理不案内で走行キロを伸ばせない
新人の皆さんの共通意見として、地理が不案内なので、どこをどう走っていいのか不安で走行キロを伸ばせないと言うことが、まず一番にあげられました。客が乗っているときは、その客に訊きながらでもいけるが、客が降りたあと、次にどう走っていいか迷うという。したがって平均して300キロそこそこしか走れず、初乗務で2万円から2万5千円という、しかしタクシー初体験、不慣れにしてはまァまァの成績を上げています。
渡辺光男さんは初出番のとき2万4千円。地図と首ッ引きで営業中ですが、帰宅後もその日の仕事のやり方を反省しながら、熱心に地図を研究するが、地図にある道路を実際に走ったとき、右左折禁止の標識などにぶつかり間誤ついてしまう。地図を研究することでかえって営業成績が低下したと苦笑していました。
岡本末男さんは、地図の上ではNETのテレビ局を識別できるのだが六本木まで行ってそれから先、どうしてもNETにまで辿りつくことができないといっていましたが、客をのせている場合、こういうことも地理不案内の新人にとっては、不安のタネになるようでした。
古城一美さんは初乗務に2万3千円。やはり300キロそこそこしか走れず、他のみなさんと同じような不安を持っていますが、まァ乗っているうちには段段慣れてきますよ、と案外楽観観していました。
この集まりをもったとき、小松崎光一さんは配車の関係でまだ一出番しか乗っていないので、仕事に慣れるためにもっと乗務したいという強い希望を持っていましたが、現在ノークラの改造車が2台しかなく、先輩5人がそれに乗るので新人達は、先輩の公休のとき、また先輩の長谷川洋さんが、(この人は制限免許ではない)普通車に乗務するとき、交代で乗務しているような状態です。
現在、身障者用として2台特別に増車申請をしているので、その認可が下りるまで、もう少し辛抱して欲しいと、同席の鈴木所長から説明がありました。(注、4月24日付け都陸旅客1995号で増車認可)
身障者だから・・・・・・のハンディは必要ない
これは第1号先輩の白井さんが入社のときに、昂然といいきった言葉でしたがこれはこの日同席したみなさんたちも、全く同意見でした。
自分たちがこの社会で、五体満足の人々に伍して生き抜いていく。そのことがまた、後進の身障者の人の希望に明るい灯をともし、励みになるのだという心構えの厳しさを感じさせられました。
以下簡単に10人のみなさんの略歴と身障度をご紹介しておきましょう。⋅⋅⋅(略)