サービス・安全負けぬ 独立めざし仲間で協力
障害越えタクシー乗務
<掲載誌:不明 - 掲載日:昭和61年6月11日?>
身障者運転手安全協会が結成十周年
東京都中野区のタクシー会社にある、身障者だけの安全協会が結成十周年を迎える。会員は二十九人。身障者が普通二種免許を取得できるようになったのは昭和五十年で、その免許を持つ身障者は都内だけで約二百四十人いる。しかし、免許を生かしている人はごくわずかだ
都内で身障ドライバーの第一号は白井仁志さん(四七)。高校一年生の時、スキーで右足の骨を折ったのがもとでひざ関節が曲がらなくなった。三十九年に乗用車の普通免許を取る。
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五十年二月、身障者も普通二種免許の資格試験を受けることが出来るようになり、一回で合格した。タクシー会社を当たったが、いくつも断られた。東京・中野の宮園タクシーだけが「やる気があるなら」と雇ってくれた。その後三ヶ月後、元洋服し立て職の石川勇吉さん(六〇)が入り、二人で組んで一台の車を交代して乗った。
朝八時から翌朝午前二-四時まで乗務し、相棒に車を渡す。一日に三五十㌔は走る。「乗ってしまえば、身障者も健常者もない。どれだけ稼ぐか、の問題。後に続く人のためにも、やれることを見せなければ」と二人は走り回った。
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五十一年九月、身障者ドライバーが五人になった時に「身障者運転二種免許取得者安全協会」を結成した。白井さんが会長に、石川さんが副会長。個人タクシーとして独立するための勉強会が目的だった。
三ヶ月に一回営業所内で会合を持つ。交通安全の講習を受けたり、地理や流し方、接客など、情報を交換し合ったりする。たちの悪い客からからまれた話も出る。ある片腕の運転手は客から「片手運転は横着だ」と言われ、事情を話すと、逆に(頑張って:コピー切れのため補足)くれ」と激励されたなど、話題は尽きない。
白井さんは「以前は身障者として見られることには抵抗があった。しかし、仲間が増えるにつれて、互いに励まし合っていかねばと考えるようになった」という。
同社では、約百台のタクシーのうち、十一台を身障者が使っている。身障者十五人がいる本郷通営業所の安田実所長は「身障者だからといって、全く区別していない。真面目に根気よく働けばそれなりの収益は上がる。身障者といっても、事故は少ないし、収益も平均を上回っている人が多い」そうだ。
しかし、東京都内のタクシー会社で、複数の身障者を雇っている会社はほかにない。身障者の場合、免許がノークラッチ車に限定されているケースが多い。そのため、タクシーの購入費が普通のものより二割近く高くなる。馬力の強いエンジンを使うので燃費も一割以上落ちるのが大きな理由だ。宮園タクシーには二種免許を持つ身障者からの入社希望が絶えないが、順番待ちの状態という。
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就職十年目の昨秋、石川さんは六十歳で定年退職した。今は個人タクシーの資格を取るために受験勉強に打ち込んでいる。石川さんの後任に加倉井利男さん(五〇)が入った。小児マヒで左足が効かない。「働いて半年、自分の力で家族の生活を支えてこそ、生きがいです」と張り切る。
松葉づえをトランクの中に入れている。タクシー無線もついているが、無線の手配で客を迎えに行ったことはない。「松葉づえで迎え出たら、お客さんがびっくりするんじゃないかと思ってね」。その分、丹念に通りを流す。「運転技術、接客態度、そして収益も劣ることはありません」と自信満々だった。
身障者の雇用 従業員三百人以上の会社では一・五%雇用するように障害者雇傭促進法で決められている。足りないところは不足人数に応じて、納付金を出さねばならない。六十年の身障者雇用率は一・二六%と法定を下回っている。短大、大学を卒業した若い身障者の雇用率は高いが、重い障害者や中高年の就職はぐっと厳しい。
労働者の外郭団体の身体障害者雇傭促進協会は、身障者の雇用に積極的に取り組んでいる企業を訪ねて写真集『障害者雇傭』(ぶどう社刊、千八百円)を出した。取材に携わった同協会広報担当の大野智也さんは「障害者に休み時間を長く与えるとか、早く帰られるなど、目の見える形で特別の配慮をすると、職場で身障者と健常者の間に溝ができる。何処の会社でも、障害者を初めて採用したときは、不安はあるだろう。
が、実際に仕事をしてみれば、同じ人間だという当たり前のことを発見するでしょう」と話していた。