宮園身障二種免協会

宮園身障二種免協会”国際障害者年に因んで行われた座談会

トップ > アーカイブ > 1980年代 > 設立当時のメンバー座談会

二種免身障ドライバーと語る

国際障害者年に因んで

<社報みやぞの NO.177 1981/8/1発行 より>

越 吉男の写真
越 吉男

   今年は国際障害者年で、テーマは「完全主義と平等」ということになっています。峡は業務会議にお集まり頂いたのを機会に、みなさんからご意見やら感想といったものを聞かせていただいたらと思います。昭和50年に身障二種免ドライバー第1号として白井仁志さんが入社してから、すでに6年が経っています。

    今日、ここに出席された方々では、白井さんの6年を筆頭に、達さん、古沢さんはそれぞれ6年余りになります。片桐さん、島田さんは52年の入社ですからやはり4年余り。中野営業所の工藤さんは今年1月の入社ですから6ヶ月。つまり半年から6年のキャリアを持っているみなさんにお集まりいただいたわけですが、今日は肉体的にハンディキャップを持っておられるみなさんがたが、タクシードライバーとして実際に営業に従事してみて、困った体験や嬉しかったことなど、健常者では味わえなかった体験などを話していただきたいと思います。

白井仁志の写真
白井 仁志

白井  6年やっても半年でも仕事の性質は変わらないので、ただ慣れてマンネリ傾向にあるよりも半年ぐらいの間は、一番緊張して充実しています。

    初めてタクシーを運転していて戸惑ったこととか、いろいろあると思うんです。先輩の方でも一度はそういう道を通ってきているわけで、その体験を語っていただくことが、また後続のみなさんの参考になるわけです。

白井  タクシーの仕事というのはその日、その日のお客様次第でその指示に従って走るのですから共通のパターンといえばそれだけです。困ることというのは、タクシーに乗り慣れないお客様に出合うとよくありますね。たとえば一方通行の狭い道に入って、料金の持ち合わせがなくアパートにとりに入ったが、一車線の狭い道なので後続車の邪魔になるので、待っていられないなんてことがあるんです。

  朝早く乗って1万円札をだされるお客さんにも泣かされますね。

    それはなにもみなさんだけに限った話ではなくて、タクシー運転者みんなが困る問題ですよね。

達 裕雄の写真
達 裕雄

  行き先もはっきりいわず、この道をまっすぐ行ってくれなんてお客さんにも困りますね。途中まで走ってゆくと10メートルくらい手前のところで、そこを右へ曲がってくれなんていわれる。車はもうメートル位は走り過ぎているので、あわててハンドルを切らなければならない。せめて50メートルぐらい手前の地点であの信号を右とか左とかいってもらえば良いんですが⋅⋅⋅⋅⋅⋅。

    ところで達さんは、接客態度良好ということで、よくお客様から感謝状が近代化センターに寄せられていますね。

  いやァ、これも宮園さんという看板のおかげです。

島田良三の写真
島田良三

島田  嬉しいことといえば、運転していてよくお客さんから褒められることがあるんですよ。この車は揺れがすくないし、音も静かで運転が巧いねなんて⋅⋅⋅⋅⋅⋅。

  ノークラの6気筒だから、普通の営業者の4気筒車とは違います。6気筒車は乗客本位になっているし、4気筒車は運転者本位になっている。

    白井さんが入社した年の秋から翌年にかけて、身障者の方が続々入社しましたね。

  私も朝日新聞に出た白井さんの記事を見て、二種免をとってみようと思ったんです。

白井  あの当時はテレビやマスコミがずいぶん取り上げてくれて、身障者にもプロドライバーへの道が開かれたと、明るい希望を持ったんですが、あれから6年余り経って当社を除いて他社で身障ドライバーの採用がないのは、採用をためらわせるなにか原因があるんでしょうか。

    先日、東京の業界紙にタクシー業界の身障者の採用状況が載っていたのですが、日の丸さんと日交さんにすこし在籍しているんですが、これがドライバーではなくて、管理職かその補佐のような役職なんです。白井さんのいうようにタクシードライバーとして採用しているのは当社だけなんです。他社がドライバーとして雇い入れない理由も分からないことはないんです。一つは現場として管理に自信が持てないことと、もう一つノークラッチ、パワーステアリングという特殊仕様車を使用するという条件が、採用をためらわせていることでしょう。

  当社でも社長の決断で白井さんの入社が決まったわけですが、我々としては初めてのことですし、最初は不安がありましたね。さいわい白井さんがマジメで熱心な良い人だったので、その後の採用に踏みきったわけで⋅⋅⋅⋅⋅⋅。みなさんマジメで熱心な人で安心しています。営業収入も健常者の平均的水準からすると、日収で500円から1,000円ぐらい上回っているのです。

    国際障害者年のテーマは、さきほどもいわれたように、完全参加と平等ということですが、その点当社のみなさん方は完全に社会参加をしているわけです。

片桐政隆の写真
片桐 政隆

片桐  われわれはみんなハンディーを克服して社会参加を望んでいるわけで、健常者と同じに納税の義務を果たしたいと思っているんです。

    この前の座談会のときにもみなさんから、そういう話がありましたね。ところで越さんの手許にいま二種免を持った身障者の方から、入社希望がずいぶん寄せられているんでしょう?

  15、6人の履歴書を預かっていますよ。今でも始終電話がかかってきて、まだ入社できないかという催促をもらう状態ですが、この人たちもみんな健常者と交わって、社会生活への参加を望んでいるわけです。こういう方々にも完全参加の道をつけてあげたいと考えているんですが       

    さっきの白井さんの質問にもう一つ補足させてもらえば、あの当時テレビやマスコミがさかんにとりあげたけど、業界としてはテストケースとして宮園の動きを見守っていたようで、白井さんの話ではないけれど、身障ドライバーの人々には明るい希望になってあれがきっかけで、その後の二種免身障ドライバーの誕生になったわけです。

  当社ではいま本郷道営業所に 16人。中野営業所に5人新橋に1人。現在の車両数ではいかに出番調整しても、いま待機している入社希望者を受け入れるのはなかなか困難ですね。

    ところで工藤さんは義手をつけないで運転していて、不自由じゃないんですか。

工藤  メーター操作なんか左手ですから、別に不自由は感じませんね。

    身体障害者だということをお客に訊かれたことは⋅⋅⋅?

工藤  別にありません。気がつかないのか、気がついても訊かないのかも知れません。

退社した人々はいま⋅⋅⋅。

    この前の座談会のときに在籍していた人たちのうち、何人かが止めていますね。その人たちはその後それぞれの新しい進路を見つけて転進していったのか、どうかその後の消息について知っていることがあったら聞かせてください。

白井  古城君をはじめ4、5人やめていますね。

古沢政江の写真
古沢 政江

古沢  そのうち2、3人はタクシーに不適合だということがいえます。古城君は結婚したんですが相手の彼女が若い人で、なかなかむづかしかったようで⋅⋅⋅。ついこの間までこの近くのダンプ屋で運転していたのを見かけたもんですが、近頃はどうしているのか。

片桐  小林君ていうのがいましたね。

白井  小林辰男だったでしょう。

片桐  これは埼玉の方の地主の枠で、家にいると農業の手伝いをさせられるので、それがイヤでタクシー志願をしたんですが⋅⋅⋅⋅⋅⋅。

  身体も頑丈そうなので、これならイケルと思ったんですが、生活に困らないからガン張りがきかない。いまは田舎に帰っています。

小型車を運転して

    ここで話は変わりますが、現在中野営業所では小型車2台が運行していますが、その2台は5人の身体障害者の方にまかされている。工藤君もその一人なのでお訊ねしますが、小型車を運転していての感想はどうですか。

片桐  八重洲口にも専用の駐車場ができたそうですが、わたしは新宿西口専門で、どこへ行っても必ず西口へ戻ってきます。

    駐車場に入っていて、回転の状況はどうですか。

工藤孫幸の写真
工藤 孫幸

工藤  常時4、5台は並んでいますが、2、3分は待ちますね。お客さんがまだ小型専用の駐車場を知らないことと、先に並んでいる車がドアを開けていたりすると、乗っていいのかどうかお客さんも迷うんですね。

白井  この間、私も西口で並んでいたのですが、われわれの車はずーッと列を作っているのに、小型車はスイスイ出ていってまたすぐ戻ってくる。15分くらいの間にすぐまた戻ってくる。まるでトンビに油アゲをさらわれて感じです。

工藤  利用するお客さんも知っているんですよ。20分も30分も待機している中型で、十二社とかその辺の近いところへゆくのは気がねなんでしょう。その点小型では短距離でも気がねなく行ける。ところで現在東京の小型タクシーは何台あるんですか。

    業界の目標は220台なんですが、6月1日現在で120台目標達成54.5%というところで、運輸省からも目標達成に努力するよういわれているんですが、もう一つ伸びが鈍いようですね。時間もだいぶ経ったので今日はこれで終わりたいと思いますが、最後にひと言、みなさんは身障二種免ドライバーとしてはパイオニアなんですから、後続の待機している人たちのためにも、今後共ガン張っていただきたいと思います。

片桐  われわれはエリート集団⋅⋅⋅(笑)

    そういう自覚と誇りをもって模範的な営業を続けていけば、他社の門戸も開けるでしょうし、個人営業の道も拓けてゆくと思います。ご苦労さまでした。





Contents【アーカイブ】

  • とき  昭和56年6月17日
  • ところ 弥生町地域センター
  • 出席者

    白井 仁志
    達  裕雄
    古沢 政江
    片桐 政隆
    島田 良三
    工藤 孫幸


    営業部長  越  吉男
    編集部     水籐 安久

ページのトップへ戻る