40周年記念事業
交通安全祈願(於:中野 宝仙寺)
日本初の身障タクシードライバー採用を決めた川村和太郎社長が眠る中野宝仙寺。また同じくお世話になった川村巌社長の葬儀が行われたのもこのお寺です。障がい者用タクシー特装車両の出発式など、度ある毎に接点を持ってきた中野の古刹は、宮園身障二種免協会にとって縁の深い寺院です。
今回設立40周年事業を計画するにあたり、今後も無事故で営業が出来るよう、ご本尊に交通安全を祈念し、また同寺内に眠る川村和太郎社長の墓所を訪れ花を手向け、40周年を迎えた報告と今後も継続し発展するようお願いしました。
2016/9/4 13:00~13:30
祝賀会開催(中野サンプラザ)
交通安全祈願を終えたメンバーは中野サンプラザに急ぎ移動します。13Fの宴会場スカイにて、松本文明氏(衆議院議員前内閣府副大臣)、高橋一実氏(中野区区議会議員)、辻雄史氏(新宿公共職業安定所所長)ほか多くの来賓を迎え、定刻に祝賀会が開会しました。出席者は68名、ここまで多くの方が集まるとは思いもよりませんでした。
中盤からは、設立当初の写真のスライドショー上映や、メンバーへのインタビューが始りました。すると昔話に花が開き、古参メンバーから40年前の面白い話がたくさん飛び出します。老朽化したクルマが黒煙を濛々と吐き出し恥ずかしい思いをした話や、初めて特装された新車が納車されたときの話など、40年前のタクシー事情が明かされるなどして、2時間30分の予定時間はあっという間に過ぎ、閉会後も穏やかな雰囲気でそれぞれ2次会へと繰り出したのでした。
祝賀会の模様は、「東京交通新聞 2016/9/12 発行(第2738号)」「中野経済新聞 2016/9/6号」に掲載されています。
2016/9/4 14:00~16:30
大先輩方の思い出話から分かったこと(メモ)
なぜ多くの会社が身障ドライバーの採用をためらったのか
- 採用にあたり、企業側に「障がい者に人の輸送をさせて大丈夫なのか?」「安全運転に障がいは不利に作用するのでは?」といった不安があったのは確かなようだし、当時のタクシー乗務員の仕事は「高収入が得られる人気職種」で、冒険をしてまで障がい者を雇用する必要はないとする風潮であった。
- メンタル面の不安と同時に、車両の壁が立ちはだかった。当時のタクシーはマニュアルトランスミッション(MT)が当たり前で、AT限定(ノークラ限定)の免許条件で乗務する車がなく、高価で燃費にも劣るオートマ車を導入するのは難しかった。
- 今であれば、免許条件に適合する改造を付されたクルマをディラーで買うこともできるし、改造を請け負う会社と接点を持つことはそれほど困難ではない。しかし、当時は安全を担保する改造を行うのは容易くなかった。
身障ドライバーの採用が可能となった理由は
- 宮園にはハイヤー部があり、身障者用のクルマを準備するにあたりオートマ高級車の「お下がり」を調達する手があった。また、当時のクルマは故障も多かったが、タクシーとして24時間365日走らせるための自社整備工場が改造のノウハウを持っていた。(具体的にどのように左アクセル車をつくったのか、お祭りムードで聞くのを忘れた・・・。残念)
- 身障者用のクルマを用意する道筋は見えたが、白井初代会長の熱意と、それに応えた和太郎社長の寛大さ、そして健常の乗務員さんが受け止めてくれたのも大きかった。
クルマには苦労したが新造車を迎えて
- 使い古しのクルマを復活させての営業だから不具合は多かったが、元は高級ハイヤーだからクルマ好きのお客様からの評判は上々だった。
- 並びで営業中に、黒煙を吐き出したときは恥ずかしかった。(この話が一番盛り上がったが、笑いすぎて細かいところが曖昧・・・)
- いよいよクルマが限界を迎えたときに、トヨタが特別につくってくれた専用車は、6気筒エンジンは静かで滑らか、パワステ、ディスクブレーキと、当時のタクシーには縁遠い装備がされていた。
祝賀会スライドショー
記念誌発行(和ごこち)
協会設立40周年を迎えるにあたり「宮園身障二種免協会 設立40周年記念誌」を発行しました。企画・編集に携わった5人の準備委員会メンバーにより、昭和に誕生し平成の現在にいたる協会の歴史を32頁に記録しています。
協会誕生の由来や、活動、メンバー紹介の他、生い立ちをつづるページには、当時の出来事や流行語、新商品・ヒット商品などがまとめられ、昭和の日本が思い出されます。
BACK To The FUTURE ならぬ「BACK TO THE SHOU-WA」と時代を遡るだけでなく、未来へと跳躍する東京無線カラーと無線タワー型“あんどん”を身にまとったタイムマシーン・デロリアンDMC-12など遊び心が紙面に彩りをそえます。その昔、フォルクスワーゲン・ビートルの2ドアタクシーが活躍した事もあるそうですが、ガルウイング2ドアのスーパータクシーが、廃棄物を燃料に街を走る日がいつか訪れるのかも知れません。
また、出席者には記念品として名入りボールペンが贈られました。
(いずれも非売品)
オフィシャルウェブサイト公開
障がいを背負った自分たちが、健常者と何も変わらない条件でタクシーのプロドライバーとして働いていることを、もっと多くの方に知って頂きたい。自分たちのことを広く知って頂くことで、障がい者雇用の場がここにあることを知れば、一緒に働く仲間がもっと増えるはずだ。そのためには⋅⋅⋅。
私たちはこれまで、宮園身障二種免協会の存在を積極的に情報発信することはありませんでした。私たちの思いを皆さんに知って頂く情報発信の第一歩はホームページを持つことだと気付き、公式ウェブサイトを公開することを決めました。