宮園身障二種免協会

障害者がタクシードライバーとして就職するまでの経緯

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就業の励みとなれば・・・ 身障タクシードライバー生の声

今後、就職を目指す障がい者の励みとなれば・・・

宮園身障二種免協会には、様々な理由でハンディキャップを負いながら、その後ご本人の努力で現在も乗務、また独立して個人タクシーで生計を立てている方がたくさんいらっしゃいます。
そんな身障ドライバーの生の声をうかがいました。

伊澤 秀雄(一種2級)

伊澤秀雄会長の写真

私は平成6年、交通事故で首から下が麻痺状態になりました。その後のリハビリで、上肢下肢に麻痺は残ったものの自力で歩行することが出来るようになり、一年半後に退院することが出来ました。

通院を終え、新宿に転居することをきに、新宿のパソコン教室に通い始めますが、その時に職員の方から「宮園自動車(株)で障がい者でもタクシーの乗務員を募集している」ことを耳にし、後日会社に連絡を取りました。

面接からタクシー運転者養成所での二種免許取得を経て、平成15年に宮園自動車にタクシー乗務員として入社して今年で13年、これまで充実したプロドライバー生活を過ごしています。

平成20年に二種免協会の会長を仰せつかり、これからも自分なりに頑張ってまいります。

島田 良三(二種3級)

島田良三の写真

私は3歳の時に高熱で小児マヒを発症して左下肢機能障害者となり、子供の頃の楽しい想い出はありませんでした。

中学卒業後はハンドバック製造会社に入社し、その後プラスチックの金型製造会社に転職しますが、昭和51年にオイルショックによる金型工場の閉鎖が決まり、無職となってしまいました。

私には妻と二人の子供がおり、今後の生活をどのように設計すれば良いか思い悩みましたが、悩んだ末に新宿区戸山町にあった障害者相談センターに相談したところ、「タクシードライバーになってはどうか?」とアドバイスを受けます。その時に紹介を受けたのが宮園自動車(株)で、私はすぐに電話をかけて面接を受けました。

二種免許取得のため自動車学校の養成所に通い、宮園自動車への入社は昭和52年2月のこと、今から40年近く前の話です。

宮園自動車に24年間勤務した後、平成11年に個人タクシーの免許を取得し、現在まで個人タクシーとして営業しております。
現在70歳でありますが、体の許す限り営業を続けてまいります。

また二種免協会を通して、障害者の就労について協力をしていきたいと思います。

竹村 哲明(二種4級)

竹村哲明の写真

私は17歳の時に事故で右脚を複雑骨折し、その後、転倒が原因で右下肢を切断しました。

前職ではテーラーを経営していましたが、仕事があまりにも忙しく、精神的に苦痛を感じて転職を考えていた時に、宮園自動車(株)がタクシー乗務員を募集していることを新聞で知り、すぐに応募を決めました。

平成2年9月に宮園自動車にタクシー乗務員として採用され、入社してから現在に到るまで20数年、タクシー乗務員として勤務しています。

加藤 輝夫(二種4級)

加藤輝夫の写真

私は平成7年8月に、交通事故で左脚下肢4分の1を切断しました。

身体障害者となったことで職を失い、立川のハローワークで再就職の活動を始めますが、職員の方が私の履歴書を見て二種免許を持っていることに気づき、「タクシー乗務員の仕事はどうですか?」と勧められました。
その時私は、「障がいがあるのにタクシー運転手をできるのか?」と思いましたが、職員の方は宮園自動車(株)がタクシー運転手として障がい者を採用していることを知っていて、勧めてくれたのです。

平成7年当時、障がい者が年収500万円前後になる職業を探すことは難しい状況で、私は即決で宮園自動車にタクシー乗務員として入社し、以来現在まで20年間乗務しています。

佐々木 智康(二種3級)

佐々木智康の写真

私は昭和29年(当時小学1年生)の時に電車に轢かれ、右下肢機能障害で松葉杖を使用しないと歩行できなくなりました。

前職は法律事務所の職員をしていましたが、平成13年に事情により事務所を閉鎖、仕事を失うことになりました。
無職となった当時の私は56歳であり、高齢と障がいの二つが高いハードルとなり、再就職困難な状況に置かれていました。

その後、平成18年にハローワークと東京都が合同で開催した身障者就職説明会があり、そこに参加していた宮園自動車(株)から「障がい者も二種免許を取得することができる」と説明を受けます。

私はその年のうちに入社し、現在もタクシー乗務員として約10年勤務しています。


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