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宮園身障二種免協会 ~ メンバー寄稿(小林 仁)

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メンバー寄稿(小林 仁)

この仕事、天職かなと感じます!

タクシー運転手は、困った人を見つけて助けて感謝されるサービス業です

ある日、このキャッチコピーをK自動車(大手タクシー会社)のホームページで見つけました。
ボランティアじゃあるまいし、人を目的地に送る仕事が感謝されるなんて・・・、もしも事実でこの仕事に就けるとしたら、車の運転が大好きな自分にとってやり甲斐を感じる素晴らしい仕事だな!と興味を持ちました。

ところがタクシー乗務は一般には20時間の夜通し勤務、体力的に厳しいかなぁと躊躇していいたところ、昼勤(昼間だけの勤務)の働き方も選べるとの話で、これなら自分にも出来そうだと江東区東雲の営業所で試験を受けたのですが・・・
結果は、あえなく撃沈!! 不採用の理由は分かりませんが、少なからず私の重い障害が影響したのではないかと、今でも思っています。

ちなみに私の障害名は、外傷による右上腕1/2以上欠損、左大腿1/2以上欠損、1種1級の身体障害です。

やっぱり1級の障害者が人の命を運ぶプロドライバーは無理なんだ・・・と諦めかけていたのですが、以前に24時間テレビで紹介されたタクシー会社に義足の運転手がいたのを思いだし、ダメ元で連絡したところあっけなく採用が決まったのです。
調べたわけじゃないけれど、日本のタクシー乗務員で1級の障害者は、私くらいじゃないかと自負しています。(他にも1級障害の同僚がいると後から知りました。)
改めて義足や義手で職業運転手となった先輩達に、そして宮園自動車に感謝の気持ちでいっぱいです。

タクシー運転手になるまで

20歳の頃、努めていた金型会社の忘年会の帰り道、T鉄道の作業車に接触する事故に遭いました。何とか一命を取り留めましたが、この事故の後遺症で私は障害を負うことになったのです。

事故をきっかけに金型会社を退職し、印刷業の一環である写植オペレーターの経験を積んで印刷会社を起こすも倒産。その後も印刷業界との縁は切れず、営業とDTPオペレーターを兼務して会社勤めをしていましたが、15年ほどで辞めて再び自営の道を進みます。

しかし印刷業界の二極化に不安を覚えていた頃、K自動車のキャッチコピーが私の心の琴線に触れました。もしかしたら自分にだって出来るかもしれないと・・・。

乗務経験5年を振り返って

平成25年に転職して、タクシー乗務員として働くようになってちょうど5年が経ったところです。
私は東京生まれだし、前職の営業で都内を移動していたので、東京の道の知識については有利だったはずですが、それでも初めは地理の習得に苦労させられました。23区は広すぎて、いきなりベテラン並みには覚えきれません。

結構打ちのめされた感はあったのですが、それでも日々の乗務で通った道を地図で確認を繰り返しているうちに、自ずと覚えていきます。私にもできたことなので、これから挑戦する方もあきらめなければ必ず実を結ぶので安心してください。
だって、自家用車だけを運転していた時と違って、嫌でも毎日百キロ以上を走るのですから、経験から得られる知識はどんどんたまっていきます。

運転することが好きで、人と話すことが好きな人はこの仕事に喜びを感じることでしょう。正しくあのキャッチコピーです。
この広い世の中で、都内に何千台と走っているタクシー中から私の車に乗っていただいたお客様、縁があってのことだと信じています。無線で呼んで呼んでいただいたお客様も然り、30分後にはどこを走っているか分からないこの仕事で、今日はどんなお客様と巡り合うかと思うとワクワクします。

ですから私にとって、これは「天職かな!?」と思ったりします。

1級障がい者の私が楽しんで働いているのだから、間口は意外と広いと思います。どうぞ一歩踏み出してみてください。
同じような境遇の仲間がたくさんいるので、働きやすい環境だと思いますよ。

2018年9月


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