自動車運転補助装置の(有)フジオートさん(本社:東京都小金井市)といえば、身障ドライバーにとって症状に合わせた各種補助装置を提供していただける会社として、ご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ジャパンタクシーの左アクセルと手動サイドブレーキの改造もフジオートさんにお願いしましたが、昨日ウェブページの相互リンクの提案をしたところ快く受けて頂き、さっそく宮園身障二種免協会のトップページに“バナーを勝手に作成して”リンクを張らせて頂きました。
フジオートの創業者である藤森善一さん( 大正4年-昭和61年)は、 昭和28年5月25日未明 の事故が原因で両足を切断、これをきっかけとしてたぶん日本初であろう手動運転装置を完成させたのですが、当時の道路交通法が立ちはだかり、運転免許を失効してしまします。
それでも諦めきれない藤本さんは、 警察や陸運局へ何度も通って免許制度の改正を訴え続け 、ついに 昭和35年12月、道路交通法が改正されて身障者にも運転免許取得の道が開かれたということです。
タクシー乗務員に必要な二種免許の取得が可能となったのが昭和49年のことで、そこから日本初の身障タクシードライバーとして活躍した 白井仁志 さんの話に続くのですが、その原点として藤森さんの健闘があってのことかと思うと感慨深いものがあります。
藤森さんがいたからこそ、今の我々身障タクシードライバーがいるのです。
藤森さんは、
「ただひとつの心配は、“教え子”たちが事故でも起こせば「身障者には危なくて免許をやれない」といわれること。この人たちを東京に集め「君たちが事故を起こせば全国の身障者の免許取得の道は閉ざされてしまう」と、事故防止を強調し続けている。(昭和39年8月24日 朝日新聞:フジオートさんのパンフレットより引用)
との言葉を残しています。
昭和37年11月に、長野県小布施町に身障者専門の自動車教習所を立ち上げ、当時の思いが綴られているものと思われますが、宮園身障二種免協会創設の根源である、「身障ドライバーが交通事故を起こして障害者を作ってはならない」という誓いにも通じます。
詳細は、フジオートさんのウェブサイトの「フジコンのルーツ」のページをご覧下さい。